MARIO CIPOLLINI  マリオ・チポッリーニ

 マリオ・チポッリーニは、1967年3月22日にイタリア共和国トスカーナ州北西部の都市、ルッカの街で生まれ、サンタンドレアのコンピト近くの村で育った。
彼の才能は早熟で、1985年のチームタイムトライアルで世界ジュニア選手権を含め、ジュニア部門の80ものレースで勝利を獲得した。

1989年にプロに転向。
出場した17シーズンの間に、189勝を挙げ、彼はすべての時間を最強スプリンターとしての名声を獲得した。彼のスプリントスタイルとパワーを表し「ライオンキング」「スーパーマリオ」の愛称で呼ばれ、イタリアの国民的なスター選手となった。
現在のロードレースで見られるスプリンターのためのトレインは、彼が6シーズン過ごした伝説のチーム、Saeco時代に、極限まで加速したトレインの後ろからスプリンターであるマリオ・チポッリーニが飛び出すスタイルを作り上げ、勝利を量産した。その強さから他のチームがそのスタイルを習い、ゴール前の位置取りのために駆け引きが生まれるようになった。

マリオ=チポッリーニは数々のレコードを樹立した。
デビューした1989年にいきなりジロ・デ・イタリアでステージ優勝し、1992年にはセミクラシックのヘント - ウェヴェルヘムそして、ジロ・デ・イタリアではポイント賞を獲得し、一流スプリンターの座を揺るぎないものにする。1993年にはツール・ド・フランスでも初勝利をする。

ジロ・デ・イタリアでは歴代最多のステージ優勝を通算42回、3度のポイント賞(1992、1997、2002年)マリア・チクラミーノを獲得している。

ツール・ド・フランスでは、通算12勝を挙げた。
1999年ツール・ド・フランス第4ステージ ラバル〜ブロアでは、194.5kmにわたって平均毎時50キロと、ツアーの歴史の中で最速でのステージ優勝を果たし、スプリントだけでなく、平地での強さを見せつけた。同ツアーでは、6日間黄色のジャージを着ていた。


2002年にはベルギーで行なわれた世界選手権で、歴代最速の平均値(毎時46.583キロ)で優勝、ミラノ - サンレモ優勝、ヘント - ウェヴェルヘムは1992、1993年に次いで3回目の優勝。ブエルタ・ア・エスパーニャでも通算3度目勝利を獲得。

彼のキャリアを通して、彼は140ステージで勝利し、3大陸で勝つことができた。
2008年に短いカムバックした後、プロロードレースから引退。

そして、2011年、マリオ・チポリーニは新しいに分野に身を捧げることにした。
彼のレースでの経験と、イタリアのクラフトマンシッップが融合した、最新のカーボンロードレースバイクが誕生することとなる。